武内勝氏は明治25年生まれであるから賀川豊彦より4歳年下である。賀川が神戸の「葺合新川」での新しい生活を開始した明治42年(1909年)12月のほぼ最初期の時から歩みを共にした「生涯の友」として知られる。ご子息の武内祐一氏のもとに大切に所蔵されていた貴重な資料が奇しくも「賀川献身100年」を記念するこの年に閲読を許されることになった。
資料はふたつの箱に収められ、ひとつには「賀川先生の手紙」と書かれた箱で、武内宛の賀川の書簡およそ120通などが収められ、ひとつは「武内勝の手帳」33冊ほか写真や重要書類、珍しい下書き原稿などが入っていた。お預かりしたその時から当方で勝手に「お宝の入った玉手箱」と名づけ、いま少しずつ資料の整理に当たらせて頂いている。
武内勝氏に関しては、1973年に村山盛嗣氏によって編集された「賀川豊彦とそのボランティア」(本年末「献身100年記念」の一つとして再版予定)で武内氏の神戸イエス団教会での貴重な講演記録が残されているが、これまで「武内勝の世界」を記すものは極端に少なく(なぜか「百三人の賀川伝」にも寄稿がない)、今回の「お宝発見」で、神戸を中心とした「イエス団」の歩みも、その全容がいくらか明らかになるのではないかと期待されている。本年すでに「中国史の研究」(朋友書店)で知られる浜田直也氏の労作として「神戸イエス団」の1909年から1941年までの歩みを纏めた第一次草稿が完成しているが、今回の「玉手箱」は、それらを肉付けする第一次資料として活かされることが期待されている。
ともあれここでは少しずつ「武内勝の手帳」から自由に書き写し、「武内勝の世界」を想起させていただくことにする。この第1回は、昭和27年の手帳の中に残されている「イエス団」でのお話のメモである(同じお話を四貫島でもされたようである)。なお武内氏のメモは殆ど句読点がないが、便宜のため句読点や改行をしておく。
(補記 私にとって武内氏は1966年3月、神戸イエス団教会の就任面接で一度お会いし、その折かけていただいた温かい言葉のひとことが忘れがたく(これについては拙著「賀川豊彦の贈りもの」(2007年、創言社)に収めている)、その後忽然と武内氏は生涯を閉じら武内氏のご葬儀の裏方が初仕事であった。以来ずっと私にとって「武内勝の世界」は是非とも親しくお訪ねしてみたかった「お宝」であった。 2009年5月5日)
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