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 賀川豊彦と友愛社会の未来

 賀川豊彦がスラム入りして100年。最も貧しい人々と共に生活し、貧困や社会悪と闘いつつ、真の人間性に立つ友愛社会と世界平和の建設のために、福祉活動、労働運動、協同組合運動など、多くの運動を切り開いてゆきました。経済的豊かさでは大きな進歩があったかもしれないが、人間性という面では貧しくなっているかもしれません。「寛容の再生」をテーマに共に生きることの重要性をあらためて論議し、賀川の志を継承したい。賀川豊彦献身100年記念事業東京プロジェクト主催。


  日時:2009年4月29日(水)14:00〜17:30
  場所:明治学院大学白金校舎3201教室

  基調講演:「寛容の再生のために」最上敏樹氏

 1950年北海道生まれ。東京大学法学部卒業、同大学院政治学研究科終了(法学博士)。現在、国際基督教大学教授、同大学平和研究所所長。日本平和学会会長(99-01)、国際法学会および世界法学会理事。主著に「国際立憲主義の時代」(岩波書庖)、「国連とアメリカ」(岩波新書)、「人道的介入」(岩波新書)、「いま平和とは」(岩波新書)、「国際機構論」(東大出版会)、「国境なき平和に」(みすず書房)、「国連システムを超えて」(岩波書店)などのほか、著書論文多数。

 今回は、賀川豊彦献身100年記念ということで、何か賀川についての話をすべきだと思っておりましたが、そうでもないと主催者から聞かされました。ただ、私は専門家ではありませんが、それなりに全集などをはじめ読ませていただきました。そこで分かったのは、この人が凄まじい行動力の持ち主であったということです。実践家であり、破格の人間であったという想いが伝わってきました。賀川豊彦を論じたものも何本か読みましたが、その中に、賀川は走り出したら止まらないタイプの人だったということが書いてありました。強烈な信念に突き動かされ、一身に振り向きもせずに進む人間。賀川はそういう人物だということは分かりました。一方で、この人が頭の中にもっていた理論の面をとらえると非常に解釈が難しい。それと同時に、この人を理論としてとらえるよりも、賀川豊彦という人間の実践をどう踏襲していくか、継承していくか、それが大事なのだと思います。いずれにせよ、賀川を一言二言で論じるのが難しいということは非常によくわかりました。
 例えれば、マザー・テレサを考えるとそうですが、その活動をどう「論ずるか」ではなく、見習って実践するべき人物なのです。そういうわけで、賀川豊彦論はあきらめ、「寛容の再生のために」という一般的なタイトルでお話をすることにしました。ただ、この後、専門家によるシンポジウムがあるわけですから、後半のシンポジウムのテーマである「平和・人権・共生」というテーマに繋げられる形で、自分の意見を出してみることが有用ではないかと思います。
 前置きが長くなりましたが、賀川の世界国家論がいまどういう風に展開しているのか、これを軸に話してみたいと思います。賀川は、『世界国家論』という雑誌を刊行して多くの論考を発表していたくらい、この問題に精力的に取り組んでおりました。生協運動で知られる賀川ですが、この世界連邦、世界国家の分野においても先駆けとして様々な議論を展開した人物でもありました。雑誌への寄稿だけではなく、国際的な世界連邦・世界国家の運動にも参加していたわけです。

 敵対関係を生み出した「善悪二元論」

 第二次大戦後、彼が抱いていた大きな理想、これが今日どうなっているのか。さて、冷戦が終わって世界が平和に至るのだという議論が多く出されました。しかし、その後20年、世界は平和にならず、平和についてより多くのことを語り続けていかなければならなくなりました。その平和の語り方について、私はしばしば「正義を抑制しなければならない」という言葉で語ってまいりました。
 どういうことかというと、冷戦後、平和を創り出す議論として出されのが「善悪二元論」でした。これは悪を滅ぼすことが平和であるという考えです。これが大きく冷戦後、急速に広がりました。ブッシュの言った「悪の枢軸」はその典型例です。悪を滅ぼすことが平和を創るということだという議論です。「平和のために悪を否定する」という考えはまことに重苦しい考えです。平和をして悪と戦うというものです。悪と指定された側からすると、悪と指定した者の側が悪に見えます。悪を滅ぼすという議論が平和のためになされていいのだという考えは、敵対関係を解消するよりも、むしろ敵対関係を生み出す。
 問題は、それ(善悪二元論)を素直に受容した人、納得した人が冷戦後非常に多かったということです。なぜ、こうも多くの人が納得してしまったのでしょうか?私は、これは1991年の湾岸戦争が大きく影響しているのだと思います。イラクの行為は暴力で平和を作ろうといいたがっているものにとっては「おあつらえむき」の行為であった、という解説を何度か行いました。イラクという悪を滅ぼす平和、これを間近に見て、影響された人は多かったことでしょう。これが冷戦後の平和のひとつの典型となりました。
 その後、世界ではいくつかの内戦がおきて、その中で小規模なジェノサイド(集団殺害)が起きました。その後は「対テロ」がスローガンになってくる。小規模なジェノサイドといいましたが、たとえば旧ユーゴの民族浄化がこれに含まれます。有名な例ですと、ボスニアで7〜8千人のすべての男性が殺されるという事件が起こりました。ホロコーストはもっと大規模ですが、これは第二次世界大戦後の世界としては最大のものです。ヨーロッパでは戦後最大のジェノサイドとして語り継がれています。
 いずれにせよ、「悪との戦い」という図式にのっとった考えが支配的となってきたのです。こういうことがおきている中で主張されることはなにかといいますと、悪と闘っている自分たちは正義だということです。敵対関係をどこまで続けるのか?という形で考えなければ実際は問題は解決しないのです。実際、対テロ戦争は問題解決どころか、問題を悪化させました。何が間違っているのか?平和というのは、やはり「共生」なのです。一方的正義を抑制することが必要です。

 成り立たない一方的「悪」

 もう少しこれを広く言い換えますと、「狂信」を否定するということであろうと思います。人間を二つのタイプに分けるのはきわめて乱暴ですが、人間は、狂信型と非狂信型に分けることができます。狂信型は、別の意味では情熱的な人だともいえます。自分・社会にとって価値のあることには犠牲を厭わず情熱をもって献身する。ある意味で、賀川は、いい情熱をもった人であったと思います。ただ、いい情熱でなければ思い込みが過剰になるのです。
 これに対して、非狂信型というのは冷静さを旨とします。私自身は、優柔不断や行動が伴わないといったマイナス面もあろうと思いますが、非狂信型を選びます。あえて非狂信型の長所をいいますと、これは物事を相対化する考え方であり、物事の複雑さに耐える知性を身に付けることになるのです。学生にもそうしたことを教えております。なぜ、これが必要なのか。世界は、もともと非常に複雑で、単純に考えることはできません。テロリストテロリストといいますが、生存権を奪われている人がやぶれかぶれの自爆攻撃を行う場合、これを悪と断罪できるのか。こうした立場に追い込んでいること自体が「悪」ではないのか。
 世界は複雑です。一方が悪、一方が善という考えは成り立ちません。様々な二律背反があります。それぞれに間違いがあり、正しさがあります。世界はこうした形でできています。たくさんの二律背反を前提とした、背反する人・物事のとりなしを行う、これが平和の根本なのだと思います。この意味では、平和とは「和解を求める精神」そのものなのです。
 最近、いままで対立していた者の間の和解を勧める専門的なNGO活動が盛んになってきております。民族間の和解を進めるNGOです。これはこれで意義があるのですが、それは平和活動のひとつのヴァリエーションではなく、あらゆる平和活動において本質的なものなのだと思います。狂信型の発想は、ひとつの考えを絶対化・単純化する反知性の典型だと思います。これは、冷戦後の知的劣化であり、国内問題についても犯罪の厳罰主義などにも当てはまります。最近こうしたことが急激にあらわれてきています。これは複雑な物事を複雑なまま理解できる忍耐力を欠いているということです。
 このままでは、邪魔者を片付ければ世界がうまくいくという信仰に陥ってしまいます。この迷信の典型がナチズムなのです。基本的に邪魔者を排除するという発想は、世界をうまく運営できないものなのです。
 そういうわけで、冷戦後の世界平和にとって何が大切かと言いますと、平和と共生のためのある種の精神革命ではないのかと思います。正義に満ちた世界を作らなければならない、そのときの正義、それは共生、共に生きるときの正義です。寛容な社会を作り上げる。こうしたものを再考するということです。この問題は21世紀になって再び浮上してきました。再びというのは、実はこの問題は平和を考えるときに永遠に変わらない課題だからです。しかし、人間は忘れます。正義とは、寛容とは、なんだろうか。賀川を再考することもまた、こうした中で何を賀川から学ぶのかという形で考えていかねばならないと思います。
 それとの関連で世界政府論を語ってみたいと思います。冷戦後、私が平和の語るときに「正義の抑制」を語ってきたことを先ほどから述べてまいりました。これは、ずっと必要ではあったけれども、ある意味では防戦一方の平和論あったという面もあります。そういう意味では反省すべきものでもあります。そういう議論をしている間、私が感じたのは、平和論が世界でも日本でもずいぶん小粒になってきたなという印象です。
 冷戦後、大きな平和論はほとんど聴かれなくなりました。「戦争をやめてくれ」という小さな平和論はよく耳にします。しかし、制度構想をもった大きな平和運動、平和論が見失われていたのではないか。これが冷戦後の平和論の特徴です。国連がすでに存在するのでその話はいいではないか、ということもあったのでしょう。しかし、それで物事は進まなかった。考えなければならないのは、「大きな平和論はもう成り立たないのか。あるいは、もう必要ないのか」という問題です。私はそうは思いません。決して不要になったわけではありません。
 この時代に要請される平和論は、無政府状態になりつつある世界に対して、そこから脱却させるための平和論です。大風呂敷になるのかもしれせんが、全体の枠組みを考える平和論は必要なはずです。大国の抑圧、それに反発するテロ。こうした世界全体の構造をどう捉えどう脱却するのかを大づかみにでも語れる平和論がなければならない。多少はそうした議論もなくはないのですが、21世紀においては、「対テロ」というたったひとつの議論に収斂してしまう議論が横行しております。しかし、仮にテロリストを一掃したとしても大国の横暴はなくなりません。ですから、これが唯一の答えであろうはずがありません。こういう小さな答えを見つけ出す傾向に終止符を打たねばならない。無政府状態から脱却する方法としての、大きな平和構想がいまなお必要であると言ってよいでしょう。

 石炭・鉄鋼の争いをなくしたEEC

 これからが本題となります。かつての、そうした大きな構想の代表例が世界政府(国家)論でした。これに賀川も深くコミットしていました。その時の賀川の議論には大きく二つの特徴があります。ひとつは、世界の人びとの経済的な共生を大前提に考えることです。彼は、国際連盟を批判しておりますが、国際連盟は経済の問題を扱っていないことが問題だと賀川は言っております。これは、それから数十年後に、イギリスの政治学者が機能主義として発表したものです。新しい議論とされますが、すでに賀川が考えていたことです。こうした点が、賀川をしてEECを絶賛させた理由でしょう。
 EECは石炭・鉄鋼の販売を共通化することによって戦争をなくそうというものでした。基幹産業での争いをなくすことが平和の一歩であると考えられていました。賀川の議論にどこまで理論的根拠があったのかは知りませんが、非常に先見性があったことは間違いありません。
 EECにならって、賀川は国家の主権を制限すべきだと言っております。できたばかりの日本国憲法についても、世界平和のために主権の制限を盛り込むべきだと述べております。こちらも先見性があると思います。

 人権保障体制を打ち出した世界連邦憲法草案

 1948年にシカゴ大学総長のロバート・ハッチスン博士が中心になって起こったものに世界連邦運動があります。世界憲法の草案を作って、世界連邦共和国を作ろうとしたのです。賀川はこのグループに参加していました。これが世界連邦運動の中では最も有名なものです。このグループの非常に面白い点は、世界政府というものを「人権保障体制」として理解したということです。このシカゴ憲法草案は、世界政府の権限を書いておりますが、それに先立って、人間の基本的義務・権利の宣言を真っ先に書いております。もしかしたら、賀川の考えが反映されていたのかもしれませんが、その内容は、経済的平等や公正に基礎をおく人権なのです。
 よくよく読みますと、われわれの常識からはかなりかけ離れた提案だと言えます。実際に、シカゴ草案にはこう書かれています。「貧困の束縛、隷属的および搾取的労働から解放され、価値と必要とに応じた報酬と保障とを与えられるるべきこと」。これを見て、アメリカでは社会主義じゃないか?という批判も相当起きたそうです。
 貧困・経済問題を世界政府論の根幹にすえる。そうした考えは今の世界では、あまり見当たりません。しかし戦争、戦争の一方で、EUの試みなどもかなり進んできておりますし、決して夢物語ではないのです。EUの実現において、なにより素晴らしいのは、加盟国相互間の戦争の可能性がほとんどなくなったことです。経済協力の果てにこうしたことが実現したのです。
 シカゴ草案のもう一点の特徴。それは、人権の保障と似ているもので、「国際人道法」です。これは、人権法の拡張として、武力戦争の最中にある人間をどう保護するのかを定めた法です。国連は世界政府ではありませんが、人権保障・人権監視の体制をもっております。ヨーロッパでは人権裁判所ができ、国境を越えて裁くことができるようになりました。その意味では人権という意味での地域的な連帯がでてきている。さらに戦争の犠牲者を守るという意味では、大戦後、本当に熱を入れてこの分野の充実が図られてきました。戦争の最中で人権を蹂躙するような行為は許さないという文化が根付いてきたのだと思います。旧ユーゴでの内戦、ルワンダでの戦争犯罪、いまでも戦争犯罪、人道に対する罪を裁く法廷・体制が敷かれ、働いてきています。今では世界全体を相手にする国際刑事裁判所もできました。この動きも着実に広がりつつある。この話は最後にもう一度します。

 構造的暴力を取り除い積極的平和論

 その前に、もうひとつ駆け足で見てみたいものがあります。70年代、平和研究の世界で大変流行したものに、「構造的暴力論」(ガルトゥング)があります。加害者の特定できない、社会構造が生んだ暴力。それを取り除くことが国際平和にとって必要であるという考えです。戦争だけではなく、女性に対する目に見えない社会の暴力など、構造的暴力をなくしていくことが世界平和を作っていくという主張です。
 こういう構造的暴力を取り除いた平和は「積極的平和」と呼ばれます。単に戦争がないだけではなく、日常にも存在する暴力を取り除く立場です。この研究の流れは今も続いております。同時にこの議論が作られてからすでに40年たちますが、平和研究はその流れから脱却できていないように思います。これでいいのかという疑問も浮かびます。
 暴力は本当に加害者を特定できないのか、よくよく考えれば、特定したほうがいい。女性差別は構造的ではありますが、実際に差別する人、差別を黙認する人は存在するのです。これを特定することはできるでしょう。構造的暴力に安住していてはいけないと思います。一方で、差別や貧困、これを優先的に解決すればすべてが片付くのか、という疑問もあります。構造的暴力論は良い面もありますが、他方でそれ自体の問題も抱えている。それを総括した上で、平和の大きな理論をもう一度作り出すこをと考える時期に今差し掛かっていると思います。

 成果を挙げつつあるNGO

 構造的暴力論の遺産をふたつだけ整理しておきたいと思います。正負の遺産です。一つ目は負の意思なです。構造的暴力論は、平和でない状態は社会構造の問題であるといいます。ここでの暴力は、責任者不明の暴力となってしまう。せいぜい、みんなが責任者でわれわれの共犯関係を認めるに過ぎない。反省の契機を失い、責任の重さの自覚が薄くなる。つまり、社会構造を支えているのは誰なのか、それを特定する必要があるということです。
 もうひとつは、プラスの遺産です。平和というものが世界全体の構造の問題であるなら、縦割りの国家間の問題ではないのだという結論が導ける。これまで戦争は国家間の問題だと考えられてきた。しかし、国家間の問題でないとすれば、世界中の人間すべてが平和を作る主体であるという考えが出てくる。こうした考えから急速に成長したのが、世界各地のNGOです。開発援助、人道支援、クラスター爆弾禁止運動・・・いろいろな成果を挙げています。先ほどの国際刑事裁判所の設立運動もNGOの力が大きかったのです。
 こうしたNGO活動の背後には、平和というものはなにより人権の問題なのだという発想があったからだと思います。この発想で生み出されたNGO活動などが正の遺産といえます。これは個々人の具体的な成果を見ることができます。何十円の募金で他国の子どもに衛生的な水を与えられる。こういった最近の募金活動などはこのよい例です。世界運営の担い手が、国家から個々人に移ったこと。この変化は大切です。世界政府・世界国家は未だ存在しませんが、これらの現実の動きは、目に見えない世界政府といっていいでしょう。この現実は捉えておくべきことでしょう。この市民のエネルギーをどう生かし、組織化し、調整するのか。これが今の世界大の平和にとって大きな課題です。
 最後になりますが、いくつかの成果と同時に、世界が平和に向かっているという実感がもちにくいという現実もあります。なぜなのか。この感覚が希薄である原因は、冷戦後に現実主義というものが優位に立ったことにあるのだと思います。

 手つかずの巨悪

 資本主義体制を支持していた現実主義が正しかったのだということになっている。なんとなくそれが正しいという話になっていく。物事を現実的に捉えるのは確かに正しいのですが、この現実主義の問題点のひとつは、「世界を変えられない」という考え方が同伴することです。「世界はそのままでいい」という考え。それをやみくもに肯定する人も多いと思います。そういった風潮が現在の状態を見逃してきた。他国で何万人殺されようと仕方ないという考えを持ってしまう。
 また、「手つかずの巨悪」という考えも、平和に対する虚無主義に結びつきます。核を例に考えます。核軍縮をどうするか。核の放置はよくないのではないかという問題が出てきます。ラッセル=アインシュタイン宣言では、核を絶対悪と見ます。核兵器を頂点とする暴力信仰の体系は今でもは変わっていない。しぶとく残っている。千人単位の大量虐殺を絶対に許されないものと考える体制ができたのに、一方で核は放置される。
 アメリカにせよ、ロシアにせよ、始終武力行使を行う国家のほとんどは核保有国です。これ(核保有と暴力)は無関係ではないのではないか?いざとなると核を使えるという国は何か特殊な価値判断をもつのではないか?つまり、そこには暴力に向かわせる何かがあるのではないか?核拡散防止体制にはいくつかの問題がありますが、暴力行使に安易になる国を増やさないできたという点でよいことでしょう。
 最近、オバマが核軍縮について語りました。これは大変なニュースです。日本政府はこの核軍縮についてのオバマ構想に同意する同義的責任があります。核保有国が言い出すというチャンスは滅多にありません。最初で最後かもしれないこの機会を生かさねばなりません。
 もうひとつ、国連という機構の問題点があります。国連が安全保障を行う平和を作る機構として大戦後ずっと続いてきました。それなりに役に立った面もあります。しかし、国連の問題点は、賀川の指摘していることでもありますが、五大国体制です。この五大国は、国連によって裁かれることすらない究極の大国です。問題は心理的な不平等感です。自分たちの国はいくら平和を侵しても罰せられない。この不平等感ゆえに国連の安全保障体制は正当性をもちにくくなります。
 国連改革が叫ばれています。本気で国連改革を唱えるのなら、大事なことは、日本が常任理事国に入るどうこうではなく、この体制、五大国に対する不平等感をどう是正するのかということでしょう。それが無理ならば、シカゴ草案がそうであったように、国連とは別の機関として平和のための世界政府を作り出すという案に戻らなければならないかもしれません。
 私は、すでに現れている目に見えぬ世界政府を応援することで、国家主権の横暴さを抑え、武力行使・恣意的な武力介入を行わない。私自身は、世界全体に通用するような憲法体制を現に存在するものの活用から育てていくことが大事だと思います。これを私は「国際立憲主義」と呼んでいます。こうした国際立憲主義の立場においても、賀川の発想を活かす、活用する方法はたくさんあるのだろうと思います。それを皆さんと一緒に今後考えていきたいと思っています。

パネル討論「平和・人権・共生」

*阿部志郎氏(神奈川県立保健福祉大学名誉学長・横須賀基督教社会館会長)
*野尻武敏氏(神戸大学名誉教授・協同学苑学苑長)
*荒川朋子氏(アジア学院副校長)
*戒能信生氏(日本基督教団東駒形教会牧師)

 シンポジウム司会(加山久夫・賀川豊彦記念松沢資料館館長)

 このシンポジウムの司会進行役を務めます、加山と申します。先ほどの古屋先生の司会でもお伝えしましたが、この献身100年とは、賀川が神戸のスラム街に入ってその活動を開始してから100年ということです。これを機会に、賀川の思想と実践の意義を捉えなおそうというものです。賀川は過去の人物だという意見は、一面で真理です。一方で、時代の大転換の中、賀川から新たなメッセージを受け止める作業も必要だと考えています。賀川から現代に対する新たなメッセージを受け止めたい、そう考えています。シンポジウム・テーマとなっております「平和・人権・共生」という響きあうテーマ群を中心に皆様に語っていただきたいと思います。
 講演において、最上先生は、広い視野でかつ新たな状況の中で貴重な発言をされました。このシンポジウムでは、4人の先生方、4つの視点からお話をしていただきます。阿部志郎先生には「福祉の世界から」、野尻武敏先生には「協同組合運動から」、荒川朋子先生には「農の視点から」、戒能先生には「宗教の視点から」ご発言いただきます。
 そもそも賀川豊彦は、そもそも賀川は宗教、福祉、労働組合、農民組合、協同組合と多面的にかつ先駆的にかかわった人間です。それぞれのテーマが賀川の取組に直結します。全体として、この議論で、タイトルにもあります「友愛社会の未来」への光が当たるのではないかと期待しております。限られた時間ですので、賀川豊彦に限らず、それぞれの先生方のご専門を中心に自由に語っていただきたいと思います。肩書きについては、配布物にございますので、割愛させていただきます。おひとかた15分と大変短いのですが思いのたけを話していただきたいと期待しております。その後に、最上先生も交えて壇上でディスカッションをするという予定です。残念ながらフロアからの質問は受け付けられないのですが、質問やご意見などございましたら、アンケートに書いていただければと思います。
 それでは、さっそく阿部先生からお願いします。

 阿部志郎氏(神奈川県立保健福祉大学名誉学長)− 社会福祉の視点

 壇上にある賀川豊彦の写真は大きく見えますが、小柄な人でした。しかし、彼の声は大きく響くのです。賀川のGrand Voiceに感銘を受けたというアメリカの友人がおります。われわれはマイクを使わなけれ声が出ません。しかし、賀川は3千人だろうが生の声で語り掛けました。そして記憶力がいい。原子記号から動植物の名前までスラスラと出てきました。そして、人の名前をよく覚えてました。賀川先生が私の名前を覚えていたということで、感動に咽んだ人もおりました。
 講演では、黒板を使いません。模造紙に筆で大きく書きました。視覚にうったえるということもあったのでしょうが、スラムに住んでいた折にトラコーマにかかり視力を失ったことも関係があるのでしょう。この壇上の写真の後、賀川はいつも黒い服を着ておりました。大変簡素な黒い服。これを賀川服と呼びました。当時中学生の学生服が7円50銭。賀川服はこれと同じ値段でした。
 この簡素な賀川が一生の間にどれほどの金額を手にいれたのか。印税、謝礼、献金・・・、一億や二億などの桁の額ではない、巨万の富を手にいれました。ですが、彼はすべてを人に捧げました。精錬な人であります。ロシアの思想家ベルジャーエフはこう言っております「自分のパンを心配することは物質的、人のパンを心配するのは精神的である」と。賀川はまさに精神的に生きた人でありました。
 仏教では「喜捨」ということばがあります。人に何かをするときには喜びを伴わなければならないという意味ですが、内に喜びが溢れる、自ずから身を捧ぐることができるということです。賀川という人は、内に喜びをもって身をささげた人であります。この喜びは罪が神の愛によって許されたという贖罪愛です。これを隣人愛として表現したのが、賀川の福祉に対する姿勢でした。
 賀川の福祉についての姿勢が象徴的に現れたのが、関東大震災でした。1923年の9月1日、約10万名が命を落としました。翌9月2日神戸でこれを知った賀川は山城丸という船ですぐに東京に向かいました。東京の悲惨な状態を目の辺りにした賀川は神戸に帰って募金活動をはじめました。賀川ハル夫人はお子さんをおぶって募金に回りました。そしてそれによって、食料、医薬品などを購入し、再び東京の本所に戻り、テントを張って救援を行います。この救援は、炊き出しをし、給食をし、保育をし、子どもに勉強を教え、さまざまな相談を受け、あるいは診療をする。そういったセツルメント活動を展開しました。
 さらに賀川はその活動から産業青年会というものを作ります。これが今日、雲柱社という団体になります。日銭を貸しました。これが今日の中之郷信用組合です。消費組合を組織しました。医療購買組合を作りました。東京市と一緒になって不良住宅の調査をし、問題を提起しました。時の総理総理山本権兵衛に対して売春を許すなという請願をおこないました。
 災害の後なにをしなければならないのか。まずは、レスキュー、救い出すこと。その後にリリーフ、救援活動が必要です。ここまでが福祉の役割と考えられておりました。そのあと何が必要なのか。リハビリテーション、元に戻すこと。さらに町全体のリコンストラクション。賀川の活動は単なる救助活動に止まらない。社会的に展開し、東京の復興にまで広げていく。これは、福祉のひとつの方向性を示すものとして今日的可能性があります。
 すぐに行動に移す即応性、そして共同して救援活動を行う組織力、さらにコーディネイトする調整力を賀川はもっておりました。被災者が一番に必要とするパンの問題。加賀はそれに答えながらも、人はパンのみに生きるにあらずというメッセージも発しておりました。災害というその機会を通してまで、賀川は人生の意味を伝えようと努力した人でした。
 賀川は貧しい人、弱い人の立場にいつも立とうとしました。人間を見つめるという視点。それはどんな人も人格、尊厳をもっているからです。賀川は子どもの権利も強く主張しました。食べる権利、寝る権利、遊ぶ権利、しかられる権利、夫婦喧嘩をやめてもらう権利・・・。賀川は1947年の児童福祉法の立案に参画しました。そこで示された「児童の権利」には賀川の思想が反映されたのではないかと思います。
 賀川の基本は、制度や法律の枠を超えてニードに対してほどばしり出るエネルギー、ぼらん他リズムです。賀川はボランタリー・アクションの人でした。このボランタリズムはキリスト教から出ておりました。福祉の業、癒しの業は、救いの業と切り離して考えることができないというのが賀川の確信であり信仰でもあったと思います。

 野尻武敏氏(神戸大学名誉教授)−協同組合運動の視点

 私は賀川に直接会ったことはありません。ただ、130万の組合員がいるコープこうべ、そこで活動していた関係がありました。この生協は元々1921年にはじまっておりますが、賀川の指導創設されたものです。コープこうべでは、生協の旗印として「愛と協同」という言葉を掲げております。賀川について勉強しながら考えたいくつかのことをお話したいと思います。
 現在の世界は近代文明が行き詰まっているのだと思います。難問ですが、私はいつもこれについて3つの特徴を挙げます。ひとつは「個人主義」です。第二は「物質主義」、第三は「合理主義」です。
 こういう考え方の上に近代が展開した。ヨーロッパでいえば18世紀の啓蒙主義です。市民革命以降の今日までの状況を「近代」といっておりますが、これは人類に対して大きい光とともに影も落としてまいりました。光の面は、人権という思想を広げたことです。また、科学技術の進歩、それを背景にした物質生産力の飛躍的上昇、これも近代文明の力です。
 ところが、問題も多く出てきた。日本の本格的近代化は戦後以降です。アメリカによる大改造が影響を与えました。アメリカは18世紀の終わりに独立します。このアメリカが近代思想をもってきた。欧米の場合には近代思想とともに生活の中にキリスト教が根付いております。
 日本は、敗戦と東京裁判によって戦前を全部否定しました。戦前は悪として切断されている。こうしたことから、戦後日本では近代の光と影が劇的にあらわれた。人権思想が広がった、しかし、人間に生まれながらの権利があるなら生まれながらの義務もあるはずです。これがまったく語られない。人権宣言が出た当時も、義務も語るべきだという議論がありました。権利ばかりでいいのか? 戦後の日本は権利だけではなかったでしょうか。最近の日本の状況を考えますと、権利をいうなら義務についても言うべきです。このためには個人主義を超えなければならない。人間を単なる個人としてではなく人格として捉え返さなければならない。
 これは賀川が非常に強調したものです。賀川は人格的な連帯を強調される。その連帯が「友愛」のことなのです。ここでの友愛は兄弟愛です。フランス革命の旗印である「自由・平等・博愛」、その中の博愛です。これはあくまでも兄弟の愛であるということが大切です。ひとはみな兄弟として尊厳をもつ。このキリスト教の思想が根底にあるのです。人格、友愛(brotherhood)、この二つは別物ではありません。人格として優れた人は思いやり・愛のある人です。自分の権利のみ主張する人ではありません。契約社会ではなく共同体が大切とされるのです。儒教でもおなじことです。
 論語にこうあります「子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎、子曰、其恕乎、己所不欲、勿施於人」(『論語』衛霊公)。孔子自身が言っています、「己の欲せざるところ、人に施す勿れ」と。自分の嫌なことを人に強いてはならない。ヨーロッパでは、「人間の黄金率」というものがあります。これは「自分がしてもらいたいということをひとにしなさい」ということです。同じことじゃないですか。人格としての豊かさは、与えることによって得られるものなのです。一銭もなくても人に与えることはできます。それは優しい言葉であったり、人を勇気づけ、人間関係を豊かにする。
 繰り返しますが、人権というのは大切ですが、権利だけの主張は個人主義と結びついている。そこで愛と思いやりを最高の倫理・道徳として考えるbrotherhoodの考えが大切になる。ですから、賀川の社会理論の基本は、人格と友愛・兄弟愛にある。経済についても人格経済、友愛経済ということを語る。
 これは別のものではない、同じものです。人格・友愛というものが決定的になる。愛や思いやりがなければならない。権利ばかりでは決して平和には至らない。これが賀川の基本思想ではないのでしょうか。これを実践に移すとどうなるでしょう。
 組合というもの、労働組合から農民組合、協同組合まで、それは人格と友愛の思想の上に立ったものです。私は生活協同組合にコミットしてまいりました。賀川の思想・理念をどれだけ実現できるのか。それが生協にとって大切なのだと思います。
 ヨーロッパでは、80年代から急激に共助の思想が広まりました。NPOなどがそうです。今日これが社会を構成するひとつの大きなセクターを担うようになった。ですから私は3つの大きなセクターが今後の社会を構成すると思い、そう主張してきました。
 第一のセクターは市場です。市場なしには効率はありません。これが社会の基礎にあって、社会を発展させるために必要なものです。しかし、市場だけではうまくいきません。日本でも市場原理主義という考えが見られました。これはだめです。市場の失敗を謙虚にうけとめなければなりません。市場だけではダメだというのは、経済学の教科書の最初の頁に書かれているようなものです。どういう形でどの程度公権力が介入するか。あれかこれかではなく、市場を基礎にしながらどのように公権力を介入させるかです。市場と政府との混合体制です。
 ここ最近、もうひとつのセクターが力を増してきました。社会的な活動をするセクターです。NPOなどが代表的です。残念ながら日本では生協はこれに該当しません。生協は利益を配分するからです。しかし、中間にできたボランタリーな組織、そのセクターの中で最も大きくもっとも古いものが生協なのです。160年の歴史があります。国際協同組合同盟(ICO)の加盟員は8億になっています。世帯で考えると20億を大幅に超えます。これまでお互い助け合う組織であった生協。生協は、社会を構成するセクターではなかった。脇役であった。主役は資本主義企業でした。今日、この生協が主役のひとつになりつつあります。大きな力になりつつあります。協同組合は単に事業ではなく「運動」です。新しい助け合いの社会を作る運動なのです。

 荒川朋子氏(アジア学院副校長)−農の視点

 荒川と申します。アジア学院は栃木県にあり、農村指導者を要請する小さな学校です。1973年に創設されました。生徒は、途上国の農村指導者で、毎年30人ほど呼び9ヶ月間の研修を行います。有機農業で60人ほどのコミュニティの三食を賄う農産物を学院の農業で自給しております。「共に生きるために」をモットーとして、宗教・文化・国を超えて平和に生きる生き方を追求しております。アジア学院の歴史に賀川豊彦の名前を見たことはありませんが、キリストの愛に基づく社会正義を目指す姿勢、貧困からの農民の救済のほか、三愛精神もアジア学院では実践しておりますし、多大な影響を受けていると思います。現カリキュラムにも、賀川の提唱した立体農業の考え方、農民組織論、共済組合の話が入っており、実際に賀川が全国に作った農民復員学校を出た立体農業の実践者たちから生きた理論として多くを学ばせてもらっています。
 農の視点からというテーマですが、日本ではどこの農村でも農家はある程度の生活レベルに達している。戦前にあったような農村の窮状は改善されたと考えていいと思います。では現在の問題とは何でしょうか。食べること、食べ物が蔑ろにされている現状ではないかと思います。
 アジア学院創設者の高見敏弘氏は、「食べる物に真剣でないことは、自分の命を生きることにも真剣ではない。そしてそういう社会は命をいい加減に扱う社会である」と述べます。技術的進歩、そして努力によって食料は過剰状態にあります。今度は逆に食べ物を粗末に扱うようになったように思えます。
 これは、1961年の農業基本法以来、国の経済と産業の価値が工業推進の方向へ大きく舵がきられ、日本の農業が主力産業として放棄されたことに起因するのではないかと思います。
 この新しい政策は、これからは限られた作物の田畑を拡大し儲かる農業をせよというものでした。これは自給のための農業を放棄することを意味します。足りないものは外から安くもってくるという考えです。非合理的・非生産的な作業を無駄とするものでした。有機的な農法の排除が行われました。土地土地の伝承された祭や文化などの歴史をねこぎにするものでした。農業自体がある意味、非合理的・非生産的ですから、そこに価値を置かないと決めた以上は、当然の結果です。賀川の立体農業は、栄養価の高いクルミを庭に植えることに象徴されるように、木の実、作物、畜産の多角経営と農民の食の自給の確保と精神生活を豊かにすることを主張するものでしたから、日本の農政では切り捨てられました。
 世界の先進国でも日本ほど農業を放棄している国はありません。他国は食糧自給を価値としても評価し、大切にしている。農村を文化の源、精神の拠り所として大切にしている。しかし、日本にはそういう考えがない。途上国は日本に続けとなっている。中国の農村がいい例です。中国では農村からの人口流出が劇的になっております。食料の過剰、食料の海外依存の結果、日本だけで年間二千万トンの食料が廃棄されるようになりました。
 輸出入の観点から各国の農業政策を考えると大きく3つに分けることができます。ひとつは、アメリカ、カナダ、オーストラリアのような農業を主力産業のひとつとして推し進めながら食糧自給を怠らない一方で食糧の輸出によっても儲ける国。
 二番目は、日本が典型となりますが、農業を捨て、工業を推し進め、儲けたお金で食糧を他国頼みにする国。三番目は、主に途上国ですが、農業が唯一の産業であり、自国民の食糧を犠牲にしても、自然資源を酷使してでも農作物を作り売らなければならない国です。このままこの構造が維持されると、経済的に弱い立場にある途上国の人が搾取され続け、安く買い叩かれ、貧困や食料不足から脱却する糸口がますます狭まる。このシステムでは行き詰まってしまいます。どれほど苦労して作っても、自分たちが食べるものが残らない。明日まで残る食料がない。
 アジア学院創設者の高見敏弘は、学院の存在意義を「社会正義の実現」であると言いました。その社会正義とは「世界の人が、一人の例外もなく、分かち合う喜びを感じあいながら豊かな食卓を囲めること」と定義されました。これはとても分かりやすい社会正義の定義だと思います。食べるという人間の普遍的・根源的な行動、であるからこそ喜びをもって分け合い、豊かに行うこと。これはまず家庭の中の公正と平和に始まり、地域の公正と平和、国の公正と平和、そして世界の公正と平和に繋がる。
 単純なはずなのですが、現実社会ではこれほど難しいことはありません。飽食の国、日本でも子どもやお年寄りが寂しく一人で食べる食事、サプリメントで済ませる食事は豊かな食卓とはいえません。どこの国でもますます難しくなってくると思います。逆にいえば、この社会正義が実現されれば平和な社会の構築は難しくないともいえます。その時には争いの種はほとんどないはずです。社会正義はどのレベルにおいても「分かち合うこと」です。これを実現するためには、賀川の平和・人権・共生そして友愛の実践思想、これを活かすべきではないかと思います。
 最後に、今回新たに復刻版として出版された『死線を越えて』を読み返して、アジア学院の高見先生の次の言葉と賀川の生き方との重なりを感じたので紹介したいと思います。これはアジア学院の精神の根底にも流れるものだと思います。「われわれは乏しさを分かち合うことを人類全体の共通の資産とせねばならない。その意味での連帯の必要に迫られている。先進国の現状はどうか。そこでは人びとが豊かさを分かち合うことができない状態ではないか。いや分かち合うことを拒否さえする。それでは人類に未来はないと言えよう。欠しさを分かち合うことによって人類は真の意味で豊かにならねばならない。そのためには、貧しいアジアの民衆から学ばねばならないものは多くある」。ありがとうございました。
 
 戒能信生氏(日本基督教団東駒形教会牧師)−宗教の視点

 賀川豊彦について、インターネット辞書で検索しました。まず社会事業家として紹介される。労働運動、農民運動、協同組合運動、さらに普選運動など社会事業、社会運動の担い手として紹介されます。最後に「牧師として」という紹介がありました。
 しかし、賀川は最後まで牧師、伝道者でした。賀川のこの面も理解しなければなりません。もちろん、賀川の実践は、キリスト教会、宗教の枠を超える影響を与えるものでした。賀川をひとつの宗教の枠に閉じ込めるのはよくないのは確かです。しかし、賀川の実像を理解していくためには、伝道者・牧師としてもみていかなければならない。
 賀川のキリスト教信仰・理解は独特でした。これは既成の教会を大いに批判するものだったからです。最近、賀川が戦後行いました「新日本建設キリスト運動」について調べる機会がありました。1948年、愛媛県の西条で10ヶ月の私を抱いてくれたそうです。もちろん覚えておりません。私ですらそうですから、皆さんが賀川に会ったことがないというのもしょうがないことだと思います。期間は2年9ヶ月だったそうですが、この新日本建設キリスト運動での集会数は1168回、聴衆合計は、73万4654人。決信者は、18万6508人という驚くべき数字が記録されています。今回私が厳密に数えなおした数字です。平均聴衆は603人になるそうです。今ここは500人が入る会場です。
 戦後、人びとは茫然自失としておりこの国の前途に不安を感じていました。賀川は、この国の再建のためにともに立ち上がろうと訴えました。注目すべきはこの呼びかけに18万人を越える決信者が応えたということです。彼は1時間半の講演の後、こう呼びかけたそうです。「キリストの精神に立ち返り、人を愛する心によって平和な日本を作り、世界平和の実現のために立ち上がろう。新しい日本を建設する。この運動に参加して働くことを決心した人は決信者カードに住所氏名を記入してください」。
 これは伝統的な従来の伝道スタイルとは大きく異なります。罪と悔い改めを迫る伝導ではありません。なにより荒廃したこの国の現実の中で、贖罪愛、キリスト愛の精神に則って一緒に立ち上がろうという呼びかけでした。実に多くの人が感動して立ち上がる。ところが、この人びとの多くは結局、教会には根付きませんでした。教会にいき、洗礼をうけた人も多数いましたが、教会の側が従来通りのものであったため、この人びとを受け入れられなかったのです。
 賀川はイエスに倣い、キリストに従うことを信念としました。これを贖罪愛という独特の表現を用いて表現しています。今日のシンポジウムのテーマに重ねますと「友愛」の精神です。賀川は自ら贖罪愛の実践を徹底いたしました。
 このことを象徴的しているのが次の短歌です。「一枚の最後に残ったこの衣、神のために猶脱がんとぞ思ふ」。1960年、賀川が亡くなったときの最後の祈りの言葉が残っております。「教会を強くしてください。日本を救ってください。世界平和を来たらせてください。主キリストによって、アーメン」。これは賀川の本音の祈りだったと思います。
 この国を真の意味で救うため、そしてこの世界に平和をもたらすために賀川はその生涯を捧げたのでした。その意味で、この献身100年記念には大きな意味があると思います。とりわけ、宗教対立や文明の衝突といわれ、世界がリベラリズムと寛容の精神を見失っている現代、あるいは格差社会によって分断がひろがりつつある社会。賀川が主張した、平和、人権、共生、友愛社会の未来こそわれわれが向かわなければならないものだと思います。そのためには、キリスト教会もまた、その独善主義を乗り越えていかなければならない。そう痛感しております。


 司会:加山久夫 どうもありがとうございました。ただいまから休憩をとったあと、最上先生も壇上に迎えましてシンポジストの皆様で語りあっていただきます。

 阿部志郎 最上先生が、寛容という話をされました。私の知る限り、寛容は宗教的権威に対して異議を申し立てる。それが信教の自由に繋がってきます。信教の自由は闘いとったものです。ここから和解に至る。和解というのは加害者が被害者に罪を認めることです。被害者が加害者の罪を許すことです。そして、両者がともに受け入れて新しい理解に立つことです。それは、愛なくしては成立しない。これが賀川の主張ではないかと思います。ここから平和が生まれてきます。平和とは、静態的・直線的なものではなく、激しい対立と厳しい葛藤の中から新しい創造性を求める人類の願望だと思います。これを背にして賀川は平和のために立ったのだと思います。
 賀川という人は、苦しむ人、悲しむ人に向けて涙を流す人でした。涙とともにパンを食べたものでなければ人生の味は分からない。こう言ったのはゲーテですが、賀川という人は涙ととともにパンを食べ人生を味わった人です。賀川という人はいろんな発想をしました。その発想をするだけの豊かな感性の持ち主でした。よく物を考え見極める思索の人でした。行動を起こす実践の人でした。人の幸せを祈る人でした。同時に賀川は詩人でもありました。賀川のスラム入りに一番大きな影響を与えたのはサミュエル・バーネットという英国でセツルメント運動をはじめた人でした。バーネットはこう言いました。「社会を改良する者に必要な資格は、実際的な仕事をすることではない。全体社会をどうするかというビジョンを描ける詩人でなければならない」。
 賀川豊彦は、真善美を追求する詩人でした。賀川は地球ではなく宇宙に目を注ぎながら足元の仕事をした人だと思います。レジュメには勝海舟の言葉を引用しました。「着眼大局 着手小局」。私どものそれぞれができる仕事はごく小さなものです。しかし、その働きをしていることにしっかり目を開き、高いところから物を見ながら実践に励みたいといつも思っております。
 野尻武敏 賀川自身についてはよく存じません。ただ、いろいろと読ませていただきながら、あまりに多面的すぎるという印象を受けます。小説家であり、詩人であり、学者であり、牧師でもある。あらゆるあらゆる実践家です。本当はそうでなくてはならないのかもしれません。大きなヴィジョンを描くのは確かに詩的な直感が必要なのだと思います。賀川について学ぶほど、これはついていけないと感じるようになります。本にしましても、神学、哲学は当然のこと、人類学の知識、道徳、さらには量子力学まで含む自然科学。最後には宇宙論。これを主題にした著書『宇宙の目的』まで書かれる。それぞれの専門家からは追いつくことができない。
 そういう人だからこそ、実践を指導することができるのかもしれません。自分の行動力では及びもつきませんが、最近わかったのは、結局「権利」だけじゃない、義務を非常に強調される。それも愛に結びつく人間の行いです。たとえば、労働者の人権としては、生存権、労働権のほか、人格権を最後に強調される。人格として尊ばれなければいけない。労働者だけではなく、資本家もまた人格としての在り方を見失っている。ですから、お分かりのように、これは経済学でいうとマルクス経済学と似ている。しかし、賀川がマルクスと決定的に違うのは唯物論を徹底的に廃していることです。賀川は、唯心論を強調します。人間の意識を尊ぶのです。これは私の言葉では理想主義です。人びとの意識を呼び覚ます、覚醒させる教育が決定的になる形で社会を方向付ける。この独自の理論が賀川の経済学なのです。こうした賀川の多面性を整理する作業が私たちには残されているのだと思います。
 荒川朋子 なぜこれほどの人間が忘れ去られたのか。この大きな疑問が浮かびます。母に話ますと、母もやはり知らないのです。私もミッションスクール出身ですが、説教で賀川についての話を聞いたことは一度もありません。教科書にもほとんど出てこない。これほどまで現在の社会基盤に影響を与えた賀川を忘れさろうとする日本の価値基準とはなんなのだろうかというのが大変大きな問題だろうと思います。
 戒能信生 私は、現在墨田区の東駒形教会で牧師をしております。関東大震災の後、賀川が救援活動をはじめた場所です。横には中之郷信用組合があります。歴史をみますと、賀川豊彦はここには最初の半年しかいなかったのです。賀川がはじめたたくさんの事業、運動、そういう膨大な仕事を担った人たちが実はいるのです。賀川が火をつけた事業を育てた無名の偉大な先達が多くいるのです。このことを記憶にとどめておく必要があります。
 野尻武敏 震災の経験の中からふたつだけ紹介したいと思います。もう15年前のことです。震災の直後、実態の調査を行いましたが、その前に重要な問題がありました。震災で即時に亡くなったのは約5500人。ところが高齢者の死亡が多かった。41%が高齢者でした。なぜこれほど多いのか、それが調査の大テーマのひとつでした。理由は、実は、どこにどういう人がいるのか分からなかったからです。近代都市の問題です。ところが、淡路ではどこにだけではなく、どの時間にどこにいるのかすら分かるような付き合いがあったのです。ですから高齢者の死亡率は極端に高くはありませんでした。ふれあいのあるコミュニティ、愛と思いやりのあるコミュニティがあったのです。これは福祉機能だけではなく、危機管理にとっても大切なのです。ですから、震災後の神戸は地域コミュニティ作りを精力的に進めています。いまも続行中です。こういう話をよく聞きました。「何もかも失ったが、人間に一番大切なものを得ることができた」。震災のとき、お互いに肩を寄せ合い慰めあった。そこには人間的なぬくもりがあった。ふれあいの大切さを思い知らされたのだと思う。
 もうひとつ。震災後にヨーロッパに行くと、日本はあれだけの震災がありながらなぜ暴動がおこらなかったのか、と問われることが多くあります。これを不思議がる人が多い。なぜ暴動がなかったのか。いろいろありますが、日本の企業は家族主義であったこともそうでしょうが、実は生協の果たした役割が非常に大きいのです。東京新聞は「被災地に生協あり」という大きな記事を書いてくれました。なぜかといいますと、第一次オイルショックの品不足の経験から学び、生協では生活必需品の確保・供給について研究会を進めてきたという経緯があるからです。当時、約1万人の職員が救援活動に従事しました。生協にはこうした活動もあるのです。大いに宣伝されるべきことだと思います。
 司会:加山久夫 最上先生、ご講演の後のシンポジウムはいかがでしたでしょうか。何かご意見がございましたらお願いします。
 最上敏樹 さきほどより、教育が非常に重要だという話が出ております。今日、私の勤めております国際基督教大学の卒業生である荒川さんの話を聴いていて、私たちの大学からこういう人を出しているんだというので大変嬉しく思いました。普段教えている中で一番大切にしているのは、弱者の側に立つということです。これが社会に出て行く際の基本姿勢であるべきだと思います。大学の中では、国際人道法を中心に教えております。これは戦争に巻き込まれた人びとについての人道問題を考えるものですが、ロースクールではこうした事は教えさせてくれない。戦場で踏みつけられた人々を助ける法律家を育てたいと思っています。そういう大学になるならとてもいいなと思っています。
 司会:加山久夫 先ほど荒川先生から出て「なぜ賀川が忘れられたのか」という問いに対して、よろしければ、古屋先生にお話いただけませんか。
 総合司会:古屋安雄・聖学院大学教授)  賀川は、急速に忘れ去られたというよりも、すでに生前に異端的であるとして日本の教会からは無視された人だったのです。世界の常識と日本の常識の違いがよく分かります。戦前、日本でも賀川は良く知られた存在でしたが、海外での方が知名度が高かったのです。当時の世界の三大聖人は、ガンジー、シュヴァイツアーと並んで賀川が挙げられていました。賀川を覚えていないということは、大いなる非常識だと思います。特に、日本の教会が賀川の偉大さを受け入れなかったことにも問題があると思います。最近になって、教会も賀川について認めはじめています。今年はアメリカの宣教師が横浜に着てから150周年です。その年が賀川のスラム入り100周年でもあるということには、非常に意味があるのです。賀川の実践とこれは無関係ではないと思います。ようやく世界の常識が日本でも常識となりつつあるのではないでしょうか。
 司会:加山久夫 150年前の宣教師たちの日本での取組は、教会を作るのではなく教育・学校を作るところからはじめられたのです。この発想は重要だと思います。その後の日本における福祉事業・教育事業。
教会の中で活動する日本人のキリスト者にとっては、これは周縁的・非本質的なものと考えられる傾向がある。賀川は珍しく、自らの思想・実践がキリストの福音の事柄として本質的にこれらが結びついていた。そういった思想家であり実践家であったと思います。この意味で今後賀川を捉えなおしていくことも大切だろうと思います。
 戒能信生 福祉の問題について少しお話したいと思います。海外の教会から日本を訪れるゲストを案内する役目を担ったことがあります。保育園とか幼稚園とかそうした場所を案内する役目です。最後にゲストが気づいて驚いたのは、キリスト教社会福祉施設の職員の大半がクリスチャンではないということです。実際、クリスチャンは5%程度に過ぎません。これはいつもマイナスとして語られてきました。しかし、あるドイツから来た神学者が「素晴らしいことですね」と感想を漏らしました。クリスチャンでない方が担っていることに対し、そういう見方もあるのかな、と新鮮に感じました。この点について、阿部先生にお伺いしたいと思います。
 阿部志郎 預言者は故郷では慶ばれないと申します。賀川はたくさんの故郷を作りました。しかし、その故郷で賀川を伝えてきたのは、今日来られている方ですと、雲柱社の方、もうひとつは生協の方たちです。生協本部の玄関には賀川の胸像が飾ってあります。賀川の精神が今日まで息づいているのだと感動しました。日本社会党創始者のひとりは賀川です。しかし、その面影はまったく残っておりません。運動と名の付くもの、このほとんどが賀川によってはじめられたものです。賀川はひとつひとつの運動にこだわることはなかったと思います。それぞれの運動が自己運動を起こし発展して参りました。今日、混迷する社会、不確実な社会の中で皆戸惑っていると思います。そうすると、当然のこと原点に帰らなければならないという気持ちを強くする。そこに賀川豊彦を見つける。そういうものではないかと思っております。賀川は大変広い方ですので、そこに集う人間がクリスチャンか否かはあまり頓着しなかったのだと思います。彼は、悔い改めを迫るのではなく、キリストの精神をもって日本を立て直そう、そう呼びかけた人ですから広くアピールしたのだと思います。この賀川が、長い年月の間に忘れられた。それはそれでいいことではないか。しかし一方で、実は賀川が求められているのです。賀川にこそ新しいこれからの文化、平和を創っていく鍵が隠されているのだ。そういう思いでこの企画を立ち上げたのです。これによって賀川が何をしようとしたのか。何を志したのか。それを学んでいくことは、私たちにとって大きなプラスになるに違いない。そう思っております。
 総合司会:古屋安雄 日本では、はじめはキリスト者で社会活動に積極的に取り組んだ人たちがいるのです。しかし、日本政府はキリスト教の発言は天皇制にとってまずいというので弾圧をはじめるのです。その結果として、日本ではキリスト者が少なくなってきます。学校でもそうですが政党もそうです。安部磯雄らの社会民主党(1901年)の即日解散などもそうです。キリスト教社会主義の指導者たちは苦難に立たされ、政治運動はできなくなりました。そうした中で、私は、賀川が忘れ去られる「世界の非常識」を大変嘆かわしいと思っています。キリスト教信仰と社会実践はひとつであるということを賀川豊彦から学びました。
 司会:加山久夫 荒川先生が立体農業の話をされました。発展途上国の農業にも応用可能な重要な意味を持つのだとおっしゃいました。立体農業について、ご存知ない方もいらっしゃると思いますので、ご説明いただければと思います。
 荒川朋子 立体農業とは文字通り、立体的なゴチャゴチャ農業です。1種類の作物を作るような国の政策とは正反対の農業です。樹木と木の実、作物と動物。動物の糞を堆肥にする。これらを農場で多角的に運営する農法です。そしてその収入の10分の1を社会活動に投じ、他者に豊かさを広げること。これは農業経営として新しい考え方だったと思います。当時一番貧しいと考えられていた農業者が社会貢献を行うという思想。この話は、われわれの学生の頭にもスッと入ってきます。1つの作物を栽培するという近代農業の考え方ではなく、多角的に運営することがどれほど利益を生むのかもすぐ理解できますし。社会活動への還元の必要性についてもそうです。賀川は農業をきちんとやられてたのではないかと思います。農業者の視点で書かれた議論だと思います。
 司会:加山久夫 補足させていただきますと、戦後日本には「農村時計」というものがありました。これは、賀川が提唱したもののひとつです。時計の技術を習得させて農閑期の現金収入を得る糧にする。これは挫折しましたが、後に「リズム時計」という形で発展していくわけです。また、立体農業からは、御殿場ハム、後の高崎ハムのような形で事業を展開させる多面性ももっておりました。ですから農の問題ひとつをとっても賀川のプログラムは大変な可能性のある話だと思います。
 戒能信生 私は、若い頃、農村福音学校出身の立体農業実践者たちのインタビューをやったことがあります。悲惨な話を聞かせられました。ほとんどが失敗しています。協同組合を創ったが失敗して、地域社会にいられなくなるようなことがあった。立体農業は大変夢を与えるものではあったのですが、実際は大きな失敗もあったのです。この点についてもご記憶されるべきだと思います。
 司会:加山久夫 最上先生のお話で、賀川の多面性への言及がありました。一言で賀川を語ることはできないという話がありました。終わりになりましたが、不可能な挑戦だとは思いますが、私はこういう言葉で賀川を語りたいと思います。ある方が、賀川を「21世紀のグランドデザイナー」という比喩を用いて表現しました。確かにそうなのです。賀川は人間の暮らしのいろいろな面に挑戦していく道筋を作った開拓者であったと思います。
 これを私の言葉、別の言葉で言い換えればこうなります。「賀川豊彦は大きな物語だった」。今日の講演・シンポジウムで言うならば、この第1章が平和、第2章が福祉、第3章が協同組合、第4章が農、第5章が宗教でした。さらに章は続いていきますし、どれが一番大事とも言えない。すべてが有機的に繋がっているのです。現在は大きな物語がない時代です。小さな物語がたくさんある。しかも暗い物語が多い。小さな物語、これは仕方ない思いますし、私たちは小さな物語を実践していくのです。この中で賀川を考える。賀川のメッセージを受けとめる。賀川を過去の人物としてではなく、今も語り継ぐべきメッセージとして受けとめる。賀川という大きな物語をひとりひとりが胸に抱きながら小さな物語を紡いでゆく。そうした形で小さな物語が寄り集まって、また大きな物語になる可能性がある。大変抽象的ではございますが、私はこういう言葉で賀川を語りたいと思います。
 総合司会:古屋安雄 最初に最上先生にお話いただいて、平和学の一番最近の動きからみても賀川を評価できる、そういう話を聴くことができて大変嬉しい気持ちになりました。最上先生、どうもありがとうございました。朝日新聞の記者が今ここに来られていますが、これだけ多くの人が集まられたことに驚いているのではないでしょうか。賀川豊彦というテーマでこれだけの方がGWの真っ最中に集まる。本当に素晴らしいことだと思います。これだけの方が賀川さんに関心を持たれたこと、これは大変意味のあることだと思います。  皆様、気をつけてお帰りください。
 司会:加山久夫 どうもありがとうございました。

 主催:賀川豊彦献身100年記念事業実行委員会
 共催:賀川豊彦学会、賀川豊彦記念講座委員会
 後援:明治学院大学、明治学院大学キリスト教研究所、
     明治学院大学国際平和研究所、
     日本生活協同組合連合会、東京都生活協同組合連合会

 問い合わせ先 
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